ニュートンと万有引力


アリストテレス(前384頃~前322頃,古代ギリシア)

 物体の動きをありのまま受け入れるのです。太陽や月、惑星、その他の星々は、地球を中心に回転している。これはつまり、宇宙は球形で、その中心に地球があり、あらゆる星は地球を中心とした円を描いて回転しているということだ。円は美しい。世界は完璧な秩序を持って存在しているに違いない。そのような世界の中で、唯一変化が許された星、それが地球なのだ。地球上のあらゆる物質は、火、空気、水、土という4つの元素からなり、重さごとに存在すべき世界が異なっている。空気の中で火は上がる。水の中で土は落ちるといった具合だ。さらに、土の元素を多く含む重たい物質ほど存在すべき世界が低い位置にある。ゆえに、重たい物質ほど速く落下するというわけだ。なるべく速く、本来の場所へ帰ろうとしているというわけだ。このように、月よりも内側の世界は4つの元素からなるため変化に富むが、月よりも外側の世界はエーテルで満たされているだけだ。そのため変化せず、完璧な図形である円を描き続けることができるのだ。かつて、物質は小さな粒子が集まってできていると考えたものもいるようだが、それでは粒子と粒子の間の空間はどう考えたらいい? 何もないなどありえないではないか。重たい物体が速く落下するのは、空気をかき分けて進む能力が大きいからと言える。なにも存在しない真空の中で落下した物体は、速度が無限大になってしまう。それはおかしい。ゆえに、原子も真空もあり得ない。

アリスタルコス(前310頃~前230頃,古代ギリシア)

 半月のとき、地球、月、太陽の間の角度は90度である。また、月、地球、太陽の間の角度は約87度になっている。このことから、地球と太陽の距離は、地球と月の距離よりもかなり長いことが分かる。そして、月と太陽は同じ大きさに見える。これはつまり、太陽は月に比べてかなり大きいということである。月食の際に月に映る地球の影から、月が地球の約4分の1の大きさであることはわかっている。そう考えると、地球に比べても太陽はものすごく大きい。そうであるならば、地球ではなく太陽が宇宙の中心にあるのかもしれない。地球をはじめとした惑星は、太陽の周りを回っているのかもしれない。

プトレマイオス(85頃~165頃,古代ローマ)

 惑星の動きをよく観察したところ、順行、逆行、留といった複雑な動きをしていることが分かった。地球を中心に置いた単純な円運動だけでは、その動きを表すことができない。そこでアポロにうすとヒッパルコスは、離心円と周転円を考えてそれらを惑星に適用したのである。さらに私は、仮の回転中心である「エカント」を導入し、太陽と月、惑星の動きを説明することに成功した。

コペルニクス(1473~1543,ポーランド)

 プトレマイオスがまとめた『アルマゲスト』を私は何度も読み直した。確かに観測事実は説明できている。しかし、導円や周転円が80以上にものぼること、さらにエカントという信じがたい点を導入せねばならぬことに、私は疑問を持ったのだ。エカントを消し去る方法は、太陽を中心に置くことであろう。地球を含めた惑星が太陽の周りを回っているとすることで、惑星の逆行を説明することもできる。

ティコ・ブラーエ(1546~1601,デンマーク)

 エカントを消し去った惑星が太陽の周りを回っているというコペルニクスのモデルには基本的には賛成だ。しかし、地球が動いているならば恒星を観測したときに見られるはずの視差がないから、地球だけは別だろう。地球の周りを太陽が回転し、その太陽の周りをほかの惑星が回っているのだ。

ヨハネス・ケプラー(1571~1630,ドイツ)

 ティコはヴェーン島という小さな島に天体観測所を設立し、長年にわたり精密な天体観測を行った。肉眼で行うことのできる最高精度のものだった。あとは彼の膨大なデータを解析することができれば、惑星の動きが確定するはずだ。コペルニクスの地動説に私は賛成だ。宇宙は調和的で美しい。正多面体の数が5種類であることと、惑星の数が6つであることにも意味があるに違いない。と、思っていたが、観測事実を大切にするティコの膨大で精密な観測データのすばらしさに気づいた。そして、火星のデータを解析していたとき、エカントを用いて想定した数値と、ブラーエの観測値が8分角だけ合わないことに気づいたんだ。ティコ以外が記録したデータなら、誤差として処理していただろう。しかし、私にはそれが誤差とは思えなかったのだ。そして、私はついにとあるひらめきを得た。アリストテレス、アリスタルコス、プトレマイオス、コペルニクス、そしてティコまでも気づけなかった真実、それは、惑星の軌道が円ではなく楕円だったことだ。エカントも、楕円の焦点と考えればいい。さらに、惑星の間にある、周期と公転半径との関係も見つけたぞ。

ジャン・ビュリダン(1295~1358,フランス)

 アリストテレスは、投げ上げられた物体がしばらく空中を移動することができるのは、物体の後ろから空気が押しているからだと考えた。物体が移動することで後ろ側の空気が希薄になり、周囲の空気がその部分に入り込むことで物体を推しているのだと。でも、アリストテレスは自分で真空の存在を否定しておきながら、真空に頼っているのはおかしいだろう。物体は投げられる瞬間に手から運動の源となる「インペトゥス(駆動力)」を受け取って、抵抗で失うまで動き続けるという考えはどうだろう。

ガリレオ・ガリレイ(1564~1642,イタリア)

 静止している物体は生死をし続け、抵抗がなければ運動している物体は運動し続ける。これは物体の基本的な性質なんだ。摩擦や空気抵抗がなければ、斜面の上から落とされた物体は水平面上を動き続けるはずだからね。それと、重たいものほど速く落下するのも、空気抵抗を受けにくいからで、空気が無ければどんな物体でも同時に落下するはずだよ。だって、2つの物体を糸で結び付けて落としたら、1つのときより早く落下するなんて考えにくいじゃないか。

ルネ・デカルト(1596~1650,フランス)

 ガリレイは落下距離が時間の2乗に比例することに気づいたり、振り子の周期が振れ幅によらず一定であることに気づいたり、望遠鏡で木星の衛星を発見したりしたよ。地球と同じく木星にも衛星があることから、地球が特別な惑星でないことに確信を持ちました。ガリレイは地動説を唱えていたけれど、惑星の運動は円を想定していました。ガリレイのいう、物体に運動状態を保つ性質があるのは私も認めますが、その運動はガリレイのいう円運動ではなく、直線運動でしょう。

 そして私は、物体が強い(重い)物体と衝突する際、その物体が持つ運動の量が変化しないことに気づきました。弱い(軽い)物体との衝突では変化してしまいますが、相手へ渡した量を含めれば、運動の量は一定に保たれているのです。

アイザック・ニュートン(1642~1727,イギリス)

 デカルトが考えていた運動の量は、物体の量と速さの積のようだ。これを物体の量と速度の積に直したのがホイヘンスだ。物体の量には、密度と体積の積を考えるとよいだろう。そして、運動の量を変化させる源を力と呼ぼう。円運動や楕円運動にももちろん力は必要だよ。等速直線運動ではないからね。惑星は太陽から引力を受けているし、月は地球から引力を受けているんだ。月も地球上の物体も、どちらも同じく地球から引力を受けているんだよ。かつてアリストテレスは、月を境界として外側の世界と内側の世界で物理法則が異なると考えた。ところがそうではなかったんだ。宇宙全体で物理法則は同じなんだよ。さらにいえば、この引力は天体どうしの間にはたらくだけのものではない。小さすぎて気づかないだけで、ありとあらゆるものの間にはたらいているんだよ。

エドモンド・ハレ―(1656~1742,イギリス)

 こんにちは。この前、カフェでレンとフックと話したんだけどさ、惑星が太陽から受ける力が距離の2乗に反比例する引力だったら、惑星はどのような運動をすると思う? そう聞いたとき、ニュートンはすぐに楕円と答えた。後日送られてきた証明を見た俺は、ニュートンに公表するように促したんだ。そこで完成したのが、『自然哲学の数学的諸原理(プリンキピア)』だよ。ちなみに俺は、近頃やってきた彗星が古代の文献のものと一致していると考えて、次にやってくる時期を予想しているよ。予測通りになったら、彗星に俺の名前がついたりしてね。