シュレーディンガーと量子


ドルトン(1766~1844,イギリス)

 古代ギリシャのアリストテレスは、物体を小さくしていくと無限に小さくなると考えた。一方デモクリトスは、最終的に分割不可能な小さな粒子になると考えて、これを原子と名付けた。原子が存在するということは、原子がない真空も存在することになる。こんなところもアリストテレスと対立していたんだ。

 その後、しばらく原子の存在は忘れられていたが、それを僕が復活させたんだよ。化学変化の前後で質量は変わらない。同じ化合物を構成する元素の質量の比は、生成法によらず一定になる。2つの元素ABからなる複数の化合物について、Aと結びつくBの割合は簡単な整数の比になる。これらから言えるのは、化学変化はいつも一定の質量の割合で起きているということだ。きっとあらゆる物質は、一定質量の粒子、原子が集まってできているのだろう。ちなみに、デモクリトスは物質の数だけ原子の種類が存在すると考えていた。一方、私は原子の種類には限りがあり、いくつかの種類の原子が集まって物質ができていると考えたよ。分子だね。

アボガドロ(1776~1856,イタリア)

 ドルトンの考えのままでは、気体どうしの化学変化で、気体の体積の比が簡単な整数になることが説明できなかった。ドルトンは、1つの元素からなる気体は、1つの原子だけでできていると考えていたからね。同じ種類の原子がくっついて気体の分子になっているということを思いついたのが僕だよ。僕はさらに、一定体積の気体には、気体の種類によらず決まった数の分子が含まれていることに気づいた。こう考えることで、いろいろな化学変化の説明がつく。

アルベルト・アインシュタイン(1879~1955,ドイツ出身)

 徐々に原子や分子が存在するということを前提として、熱や気体の法則を説明する科学者も増えていったのです。しかし、熱の要因がエネルギーだと分かってきたことで、物質の基本要素がエネルギーだと主張する科学者も出てきました。論争の決着は、水に浮かぶ花粉から漏れ出た微粒子が不規則な運動をしていることを、ロバート・ブラウンが見つけたことがきっかけだった。私は、水の分子が花粉内の微粒子に繰り返し衝突することで起こっていると考えました。そしてこの運動を式で表してみたんです。この式の中には、アボガドロが考えた分子の数が含まれていて、これをジャン・ペラン実験で求めたことで、原子や分子の存在が確定しました。

 話は変わりますが、物体はその温度に応じた波長の光を放つことが知られていました。マックス・プランクは、物体を構成する粒子の振動エネルギーがとびとびであればこの現象をうまく説明できることに気づきました。私はこの考えを発展させ、光のエネルギーもとびとびであると考えました。光は1個、2個と数えられる粒子の集まりのようだと考えたのです。この粒子を光子と呼びます。

J.J.トムソン(1856~1940,イギリス)

 原子に磁場を与えていたピーター・ゼーマンは、原子から出る光が磁場の中では分裂することに気づきました。この現象は、原子の内部に荷電粒子が含まれていることを示していたのです。つまり、原子は物質を構成する最小の粒子ではないことがわかってきたのです。電気を持った粒子といえばイオンが知られていました。電気分解の実験をしていたファラデーは、水溶液中で物質が電気を持った粒子になることに気づき、これをイオンと名付けました。たとえば水素の原子は水素イオンと呼ばれるプラスの電気を持った粒子になります。流れる電気量から、一定質量の水素イオンが持つ電気量(比電荷)も測定されていました。

 ところがイオンではない荷電粒子が見つかりました。希薄な気体に電圧をかけると、陰極付近から陰極線と呼ばれるビームが飛び出します。いろいろな実験により、このビームの正体がマイナスの電気を持った粒子であることが分かってきました。やがてこの粒子は電子と呼ばれるようになります。そして私は電子の比電荷を求めることに成功しました。これがなんと、水素イオンの1800倍の大きさだったのです。このことは、電子の電気量が水素イオンの1800倍か、質量が1800分の1であることを示しています。私は希薄な気体の原子から電子が飛び出していると考えていました(本当は陰極の金属から出ていました)。原子から飛び出す電子の電気量が、その原子に比べてそんなにも大きいということはないでしょう。きっと電子の質量が水素イオンよりも1800倍小さいのだと思います。

アーネスト・ラザフォード(1871~1937,ニュージーランド出身)

 その後、ロバート・ミリカンが油滴を使った実験によって、電気量には最小の値があることを突き止めた。この値は水素イオンや電子の電気量の大きさに等しいと考えられたよ。最も軽い原子が水素だからね。この電気量と比電荷から、電子の質量もわかったんだよ。それから、J.J.トムソンは原子が電子を含んでいると考えた。そして、原子全体で電気が中性であることから、薄く広がったプラスの電気の雲の中に電子が漂っているという原子の姿を想像していた。

 僕の研究はアルファ線という放射線を使ったものが多いんだ。僕が見つけた放射線には、アルファ線のほかにベータ線、ガンマ線もあるんだけど、アルファ線はヘリウムイオンのことだよ。水素イオンよりも重たく、電気量も大きいんだ。そんなアルファ線を金属の箔にぶつける実験をしてみた。J.J.の原子モデルが正しければ、プラスの雲の中をアルファ線がほとんどまっすぐ通過するはずだったんだ。ところが、ぶつけたアルファ線の中には、まるで壁にぶつかったみたいに跳ね返ってくるものがあったんだよ。このことから、原子のプラスは原子全体に薄く分布しているんじゃなくて、小さな領域に集中して存在しているんじゃないかと考えたんだ。太陽のまわりを回る惑星のように、プラスの核のまわりを電子が回っているというモデルだよ。

 それから、窒素の気体にアルファ線を当てたこともあったんだ。するとなんと、水素イオンが飛び出してきたんだよ。原子から飛び出してくるということは、原子のもとになっているのは電子と水素イオンなんじゃないかな。すべての原子に含まれるプラスの粒子だから、これを陽子と名付けよう。原子核は陽子からできている。しかし、陽子の重さだけでは原子の重さの半分くらいしかないことが分かってきた。そこで僕は、陽子と同じくらいの重さの電気を持たない粒子(中性子)が原子核には含まれていると考えているよ。中性子はその後、チャドウィックが実験によって見つけてくれたんだ。

ニールス・ボーア(1885~1962,デンマーク)

 だんだん原子の構造が分かってきたけれど、ラザフォードの原子モデルには大きな欠点がありました。電気を持った粒子が振動すると電磁波が発生します。電子が原子核のまわりを周回しているなら、電磁波を放出してエネルギーを失い、原子核に電子が落ちてしまうはずなんです。さらに、水素原子から出てくる光を調べていたバルマーは、その波長がとびとびに分布していることに気づきました。ラザフォードの原子モデルが正しければ、電子が放出する電磁波の波長は連続なはずです。この問題を解決するため、私は原子が次の2つの条件を満たしている必要があると考えました。まず、電子が特定の半径の演習場を周回している限りはエネルギーを失わないこと、そして外側から内側に電子が落ちたとき、そのエネルギー差に対応するエネルギーを持った光子が飛び出すこと。光子のエネルギーはその波長に対応しているため、この2つの条件を課すことで、私は水素原子が飛び出す光の波長がとびとびになることを示せたのです。

ハイゼンベルク(1901~1976,ドイツ)

 あとは、どうして電子が特定の半径にしかいられないかという問題だね。行列という縦と横に数値を並べた量を使って電子の位置と運動を示せば、とびとびのエネルギーが示せるんだよ。行列ってのは掛け算の順序が入れ替わると計算結果が変わる場合があるんだ。位置を測定して運動を測定するのと、運動を測定して位置を測定するのでは、結果が変わってしまうという感じかな。位置と運動が同時に定まらないんだよ。

シュレーディンガー(1887~1961,オーストリア)

 電子の位置と運動が同時に定まらないということは、電子が原子核の周りを回っているというボーアの原子モデルが正しくないことを示していた。波だと思われていた光が粒子のようにふるまうように、粒子だと思われている電子が波のようにふるまってもいいんじゃないか。そう考えたド・ブロイのアイデアを僕は利用した。電子を波として表現した式を立てて解くことで、電子の位置がとびとびに分布していることが示せたんだ。やはり、電子がぐるぐる回っているような結果ではなかった。特定の場所で、電子が波のように広がっているという結果になったんだ。ボルンはこの波を、測定したときに電子が現れる確率だと思っているみたいだね。電子の位置はもともと確定しておらず、電子の位置を測定したとき、見つかりやすい場所をこの波は示しているのだという。測定するまではいくつかの可能性が重なり合って存在していて、測定したときに初めてその位置が決まるのだという。果たしてそんなことを自然は許しているのだろうか。例えば、箱に入れた猫が観測するまで、生きている状態と生きていない状態が重なり合っていると言われたら、そんなことはあり得ないと思うだろう?